あたたかい家づくり30年
初代社長からの受け継ぐ、東北の暮らしに最適な「あたたかい家」。
創業から40年、その思いをさらに昇華させた「省エネで住む人にあたたかい家」です。
初代社長が取り組んだ「エアサイクルの家」は、自然の力を活かした、長持ちする家を実現。
エアサイクルの家を確立した菅原工務店が次に手掛けたのがオール電化の家である。今から17、8年程前のことだというから、こちらもかなり時代に先駆けた取り組みだったと言える。
東北地方の家では暖房機器が活躍する期間は長く、半年以上にわたって使用される。その寒冷地の環境の中で喜ばれる家を考えるとき、快適性と暖かさは切り離せない。つまり暖房効率が重要になってくる。さらに省エネ性や光熱費の問題も考慮してオール電化の家が有効だと考えたのである。長持ちする家、暮らす人の健康を妨げない家、そして東北の家に相応しい暖かい家。エアサイクル工法もオール電化の家も、地元エリアでお客様に喜んでもらえる住まいの形をシンプルに突き詰めた結果、必要な技術だったのである。さらに外断熱の自社工法も開発。現在の主力商品として成長してきました。
そして、次に必要となった技術がソーラー発電。オール電化の家が電気系統で機能することを考えて、最終的に元手がただのクリーンエネルギーである降り注ぐ太陽の力で自給自足ができれば理想的だと考えたのだ。こちらも13年程前には本格的な事業として取組み始めた。
さらに、この取り組みには、地元で信頼される工務店としての大きな責任感が込められていたと菅原社長は語る。
「当時、ソーラー発電の販売会社は立ち上げても長く続かないところが多く、信頼できるかわからない訪問販売の会社なども数多くありました。手荒な販売方法の業者もたくさんあり、そうした中でせめて自社のOBさんだけでも守りたいという想いが強かったんです。ですから、しっかりとしたルートとサービスでソーラー発電を地元の方々に提供できるよう、独立した事業部を立ち上げてソーラー発電販売を手掛けることになりました。」
地元で愛され喜ばれる家をシンプルに追求した結果、太陽や風といった自然のチカラを活かす家づくりに、太陽のエネルギーを使って電気をつくるソーラー発電と、気がつけば「太陽」が菅原工務店の事業の大きなキーワードとなっていたのである。
今でこそソーラー発電や自家発電と言ったキーワードが当たり前のようになっているが、当時は採算が合わない、まともに売っても売れないと、あきらめて手を引く業者も多かったという。そんな中、10年程前には京セラのフランチャイズという形で事業を本格化。5年程前には仙台市にあるショッピングモール『イオン』にソーラー発電の専門店を出店。京セラのフランチャイズという形で運営を始めた。工務店の中でソーラー発電も取り扱えるということではなく、敢えて興味のある人に振り向いてもらえるよう『専門店』の形をとった。
「出展エリアは仙台の北部。お客さんは訪問販売で突然やってくる業者よりも、自分のタイミングで店舗に足を運び、きちんと吟味して買いたいという人が多かったんです。そういうお客様に対してご提案するのに専門店の形はメリットとなり、4、5年前から需要が徐々に増え、特に震災後はエネルギー関連に興味を示す人が急増したこともあって来客数もかなり伸びました。」
それでも出店当時はソーラーの専門店は他にはなく、需要もほとんどなかった。注文住宅の受注とはまた違った世界に試行錯誤する日々が当面は続いたという。
「展示場やショールームで待っていればお客様がきてくれるという感覚の強い住宅の世界と違って、ソーラー発電は黙っていたら誰も興味を示さない、存在すら知らない人が多い時期でした。そんな中での試行錯誤の経験は今でも生かされていると思います。」
日本木造住宅産業協会様発行の「木芽」Vol.157(2015.秋)連載
「頑張る会員企業訪問記」にて弊社の取り組みをご紹介いただきました。
記事の一部を抜粋して掲載しています。
あたたかい家づくりの原点
「あたたかい家づくり」をはじめたきっかけ。
そうですね、私が職人として働きはじめた昭和40年頃は建て替えの時に、よく古い茅葺の屋根を何件も解体したものです。実際に作業しているととても「カビ」臭く、特に納戸や裏廊下はひどいものでした。お施主様にはお見せできるようなものではありません。住まいに限らず日本にはやはり四季とともに梅雨があり、湿気・湿度はさけられません。しかし、そんな光景を見るたびに、そのころの私は、睡眠時間も考えれば人生の大半を過ごしている住まいがもとで健康を害し、病気にもつながっているという現実をなんとかできないかという思いが強くなり、いつもそれは頭の中にありました。
独立してから数年、そんな私に大きな運命的な出会いが訪れました、それが「エアサイクルの家」です。通気層を持ったその新しい工法は、これまでは閉じ込められていた壁の中や小屋裏の空気を動かすことができる画期的なものでした。まだまだ工法や性能といった言葉すら耳慣れない時代でしたが、カビや湿気に強く長持ちする快適な住まいならばお客様に絶対喜んでいただけると思い、何の迷いもなくすぐさま取り組み事にしたのです。簡単にまとめるとエアサイクルの家には大きなメリットが3つありました。
「通気層があること」
これは湿気またはカビを解消し、さらに住まいの大切な柱を長持ちさせることができます。先程もお話しましたがこれは壁の中と小屋裏、そして基礎が一連の通気層を持たせることで普通ならこもってしまう熱や湿度も自然と解消出来るようになります。リフォームの現場で未だによく目にしますが、施工された断熱材(グラスウール)が黒くカビているのは、長年の間に湿気を吸収することがその一因です。そして特に夏場の太陽の熱でこもった壁の中の空気が原因で夜涼しくなっても室内が蒸し暑いままですが、通気層があることでこの熱がこもることなく、小屋裏から排出することができるので快適になります。当時のプレハブメーカーはジュータン敷きで建材がほとんど。それがダニやカビにもつながってもいたのです。
「自然のエネルギーをつかうこと」
先程からお話している「通気層」を空気が動く「エアサイクルの家」。その流れは換気扇などの機械がするのではなく、太陽と風を上手に活用することで賄っています。例えば暖められた空気は上昇します。その空気は屋根までいくとより涼しい北側へと下降し、さらに床下を循環します。自然に逆らうことなく、その原理を巧みに利用した住まいはまさに私にとって理想でした。今でこそ注目されるエコロジーな家づくりですが、エアサイクルの家は25年以上も前から一貫してきたそのパイオニアであると言えます。
「あたたかい住まいになること」
その空気層は冬は閉じこめることで断熱層となり、床下、壁の中ともにあたたかいもうひとつの理想も実現できます。カラッとした室内とあたたかい家はこの後、菅原工務店の大きな売りとなりました。
簡単にあたたかい家づくりへの取り組みをお話してきましたが、実はこの「エアサイクルの家」見た目は普通の家と同じでもかなり割高。見えない部分に専用のパネル(断熱材)を施工し通気性を高めた特殊な基礎も必要。ということで初めの一棟を手掛けるまで、なんと3年かかりました。
空気がまわる? 湿気が少ない? 冬あったかい?? 実績のない私と生まれたばかりの省エネ・健康住宅。当時は景気も良く、あえて面倒な説明なしでも普通の家が次々建てられた時代です。でも、今までと同じ家はしたくない。長持ちする快適な「いい家」をつくって喜ばれたい! 次第にそんな熱意に共感しお話を聞いていただけるお客さまも増え、2棟目、3棟目と少しずつ増えていきました。実際にお客様からも予想以上に褒められて「これしかない!」とあらためて確信したのを覚えています。
お客様のところに行くと「電気毛布がいらなくなった」とか「風邪を引きにくくなった」というお声をこれまで本当にたくさん頂きました。それが何よりうれしかった。そして末永くお付き合いをさせていただける。初めは本当に大変でしたが、その苦労も吹き飛ぶ瞬間です。冬暖かくて夏涼しい家は、言い換えれば省エネの住まいであることも証明してきました。エアコンを使う日が普通の家より少ない、暖房も家全体が温まるので灯油が今までより少なくて済む、それは長い目で見ると光熱費も大幅に節約でき、家のランニングコストの削減にも効果がありました。
その後、大崎で一番の実績と記念すべき施工実績100棟も達成。宮城県北部の会長にも就任することとなり、すっかり「エアサイクルの家」は菅原工務店の代名詞となりました
オール電化住宅との出会い
今から13年前ともなると、オール電化住宅もまたまだまだ始まったばかり、大手メーカーはもちろん地元ならず全国でも先駆けた取り組みでしたが、「エアサイクルの家」で省エネ、快適な住まいづくりをしてきたことで私自身すんなり取り組むことができました。立ち上げの苦労はすでに免疫ができてましたから(笑)。
東北電力さんの支援の下、「正建会」というオール電化を推進していく地元工務店の会を5社で立ち上げ、その中でお互いが切磋琢磨し私も大崎エリアを中心に普及を進めてきました。この場で私も多くを学び、家づくりに反映してきました。時代が地球温暖化、環境問題を背景に省エネへと加速し始めた時に、これからの住まいの形として登場してきたのが.オール電化住宅です。大手ハウスメーカーでの本格的な取り組みもここ5年前後ではないでしょうか。いいものであればいち早く取り組み、お客様にご提案していく。地場の工務店でも負けてはいないということを証明できたことも後に大きな自信となりました。
それとほぼ同じ時期に、太陽光発電システムを私は自宅に導入しています。もともとは新しい事務所への設置を考えていましたが、断念し自宅へ取り付けることになったのです。
今思えば、自宅では新築時からすでに太陽熱温水器を使っていました。そしてエアサイクルの家も「太陽と風を利用した健康住宅」というキャッチフレーズからも分かりますが、、自然のエネルギーを活用しています。太陽のエネルギーなら元手もタダじゃないですか(笑)、それがすごくいいし、さらに価値に変わることに単純にすごいと感じ大きくひかれました。今でも電気は買うのが当たり前ですが、それが自家発電でまかなうことができて、さらに余った電気を電力会社の売ることができる。この意識の違いは本当に大きなもので、当時の私には画期的なものでした。古川ではほとんど最初の事例です。取付も苦労しながら仲間の業者さんと工事したのも今思えばいい思い出です。
そして、この時点でいつかこの太陽光発電システムを事業としてやってみたいという「夢」が私にはありました。地元の工務店が取り組める環境事業としては最高の仕事だと・・・。
まだまだ高価なものでもあったので、実際に自分で試して納得してからではないと地域の皆様におすすめしたくはありませんでした。結果、導入から5年後に事業として開始し、(株)住まい工房アイムとして県内2ヵ所で京セラソーラーFC店をスタートしました。そのルーツが14年前に設置したこの自宅のパネルです。
私の家づくりは「太陽」がキーワード。これから求められるクリーンエネルギーの普及や環境問題を考えると、取り組んできたことすべてに通じるテーマであり、今後も求められるものです。これまでの取り組みを通じて、地域の住まいづくりの進歩や発展にささやかながら貢献できていれば私にとってこのうえない喜びです。
2013年10月1日